インストルメンタル
試作シマクサラシ
島ヴァンパイア物語
西欧のヴァンパイア、日本の吸血鬼のイメージを根本から覆す沖縄の島ヴァンパイアをテーマに描いたインストルメンタル『シマクサラシ・島ヴァンパイアの物語』は、沖縄のキリスト復活神話であると同時に、『善のヴァンパイア』とでも言うべきヴァンパイアとしては他に類をみない史上初のキャラクターを創造した。人はどこからきてどこへ行こうとしているか?生きる目的とは何か?なぜ愛が存在するのか?すべての根源に迫る沖縄の伝統儀礼を音楽で表現しようとする無謀な試み。さらに古典舞踊、平敷屋朝敏作『手水の縁』、玉城朝薫作『執心鐘入』を主題とするピアノ曲『CHOBIN』、『SYUSIN』もライブ・バージョンで。
シマクサラシ
島ヴァンパイア物語
全7曲中3曲 ショートバージョン
SYUSIN
「執心鐘入」より(試作品)
玉城朝薫作、琉球古典舞踊『執心鐘入』を主題とするピアノ曲。原作は第一幕のみ。第二幕はオリジナル。ダンスと合わせて物語を表現したいと思います。
第一幕。
夜、首里の奉公先へ向かう途中、日が暮れたため若者は民家で一夜の宿を借りようとする。家に一人いた娘は最初は用心して断るが、若者が評判の美男子であることを知り、泊めることにする。夜更けに娘は若者の部屋に忍んでいく。驚いた若者は女の誘いを拒絶し、逃げる。女は執念深く若者を寺まで追いかけていく。尋常ではない女の様子に若者は寺の住職たちに助けを求める。住職は若者を釣鐘の中に匿う。怒り狂った女は鬼女となり若者を襲おうとするが、住職によって撃退される。
家の女から突然求愛される。女の尋常でない様子に誘いを拒んで逃げる。女は若者を追いかけ寺まで入る。
執念深い女はやがて鬼と化し若者を襲う。若者は寺の者の助けにより釣鐘の中に隠れる。鬼女はなおも若者を襲うとするが、僧侶等の力によって退治されてしまう。
第二幕(オリジナル)
僧侶らにやっつけられて死にかけた女をなぜか哀れんだ若者は、女のもとへ寄る。実は若者に執着したのには理由があった。100年前、必ず迎えに来るという恋人の言葉を信じて女は待ち続けたのだ。しかし100年経っても男は来なかった。女は老婆となり、そして鬼と化し男を待ち続けた。そこへ男と瓜二つの若者がやってきたのだ。
若者はぼんやりして聞いていたが、やがて自分が女が言う恋人であるように思えてきた。そして遂に目覚め、鬼女の手を取り、逃げたことを謝るのだった。
女は醜い自分を恥じ、若者に若い娘と結ばれて幸せになってくれることを願う。若者は、お前は美しい、あの日のままだと言う。話を聞いているうちに本当に鬼女が美しく思えてきたのだ。
女はそれを聴いて満足げに微笑んで死ぬ。若者は女を葬って僧侶になり、巡礼の旅に出る。了。
CHOBIN
「手水の縁」平敷屋朝敏に
捧げるレクイエム(試作品)
平敷屋朝敏作『手水の縁』あらすじ。琉球王朝時代。山へ花見にやってきた男(山戸)は川辺の井戸で美しい娘に出会います。そして娘が柄杓ですくった水を貰って飲んだことから、二人は親しくなります。二人は秘密の関係を続けていましたが、やがて周囲にばれてしまい、厳格な彼女の雇い主は娘を処刑するよう命じます。
浜で、処刑役の男に娘が斬り殺されようとした時、恋人の山戸が現れ、処刑役の男に、娘を助けてくれるように頼みます。どうしても殺すなら自分も一緒に斬り殺してくれと。処刑役の男は二人の愛に心を動かされ、娘を殺したと偽ることにして、二人を逃がします。命拾いした二人は、手を取り合い浜から逃げて行くのでした。
これだけの単純な物語なんですが、作者と言われる和文学者の平敷屋朝敏は当時の王妃との恋愛を噂されて島流しの目にあったり、イケメンの劇作家として世間を賑わせたり、最後は重税に苦しむ大衆の苦境を当時の支配層であった薩摩藩に訴えようとしたところ、琉球王府への謀反の罪で捕らえられ処刑されてしまうという、物語をはるかに凌ぐ波乱万丈な人生を送りました。
彼がどういう人物であったかは、彼の作品であると言う「手水の縁」が多くの組踊の中でただ一つの恋愛物であるという点においても推察することができます。当たっているかどうかわかりませんが、良い意味でも悪い意味でも「才能豊かな自由人」というのが、今のところの私の彼に対するイメージです。
自由であるがゆえに彼は恋の歌を作り、大衆のために王府に反逆して、処刑されたのです。目立ちすぎることを嫌がる人が多い沖縄の人間には珍しいタイプだと思います。彼がいまの時代に生まれていたら、沖縄のイメージを変えるスーパーヒーローになっていたのかもしれません。このピアノ曲は、そんな平敷屋朝敏に捧げるレクイエムです。(※今後、追加、編曲がある予定)