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À propos de

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たまたま家にあった浅川マキとジョルジュ・ブラッサンスのCDを子守歌代わりに聴いて育つ。小学生のころ、人生に絶望したある人の歌った下手くそな歌が、なぜか美しく心に響いてきたことに、音楽の偉大な力に触れた気がして感動し、音楽家になろうと決意。小学4年生から作曲を始める。小学6年生、沖縄県交通安全行進曲のボーカルに抜擢、CDが全県の小学校に配布される。また、創作クラシック集団のライブで前座を務めライブデビューを果たす。
小学生から中学生時代にかけて沖縄の旧跡を巡る機会があり、沖縄文化の豊かさを知る。また、父から聞いた、戦争で犠牲になった曽祖父や叔母たちの悲劇。無残な自然破壊現場との遭遇。通っていた中学校が歓楽街にあったことから垣間見た様々な人間模様など、音楽のテーマとなる多くのことを見聞した。
高校一年生、どこにもいないオリジナリティのあるシンガー・ソングライターになるためには人と違う生き方をしなくてはならないという考えに何故か取りつかれ、家庭の事情もあり、高卒認定を取得し、楽しく過ごしていた高校を中退。自分にしか出来ないスタイルは何かと模索し続け、自分の原点となった作品が持つ「物語としての音楽」に辿り着き、ドラマ性を全面に押し出した音楽文庫、さらに「シャンソンが人生へのラブレターなら、琉球シャンソンは沖縄へのラブレター」というコンセプトで琉球シャンソンという独自のスタイルを創作する。家族の介護や家業の手伝いなどをこなす傍ら、県内のクラシック作曲家に師事、音楽理論を学びながら制作・ライブ活動を行う。
20歳、平和祈念公園にて慰霊の日チャリティー・ライブを主催する。以後、継続して行うようになる(コロナ中は停止)。
22歳頃からは東京に活動拠点を移し、ライブハウスを中心に音楽活動を行う。
コロナ禍に入り帰省後しばらく活動を休止。その間もシャンソンコンクールに出場し準グランプリ等を受賞する。
2023年、活動を再開。沖縄から日本、そしてフランスに向けて積極的に配信活動を行っていく予定である。

音楽をする一番の目的は、この世界から消えていこうとする「ウムイ」を表現し伝え残していくこと。その「ウムイ」からなる、人の心が紡いだ織物のような物語を歌に乗せて継承していくことが自分のライフワークであると信じている。

今後の活動としては、オリジナルジャンル「琉球シャンソン」や、物語スタイルの「音楽文庫」、クラシックの名曲に日本語の歌詞をのせて歌う「日本語クラシック」、これのうちなーぐちバージョンである「島くとぅばクラシック」、そしてJpopなど、多岐に渡って作品を作っていくこと。その第一歩目として、まずは琉球シャンソンを追求、充実させ、沖縄、日本、フランスに向けて積極的に発信していく予定である。
将来の目標として、フランスと沖縄を音楽で繋ぐ架け橋となること、沖縄の心とも呼べる平和祈念公園で沖縄を代表するようなフェスを作り上げていくこと。

 

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